創也どすえ。
ダンサー・イン・ザ・ダークのトリアー監督が手がけた新作「メランコリア」を観てきました。実はもう2回観てます。最終日3/23までにさらにもう1回良く予定。
最近の映画の中では、ものすごく衝撃的な映画でした。
作品は2部構成になってます。
あらすじ
<第1部 ジャスティン>
新婦ジャスティン(キルスティン・ダンスト)は、新郎マイケル(アレクサンダー・スカースガード)とともに結婚パーティーの行われる姉夫婦の家に向かっていた。ところが、2人の乗るリムジンが立ち往生し、大遅刻。姉のクレア(シャルロット・ゲンズブール)とその夫ジョン(キーファー・サザーランド)が出迎えて、ようやくパーティーが開始される。義兄のジョンが私財を投じて開いてくれた盛大なパーティーだったが、母ギャビー(シャーロット・ランプリング)の悪意に満ちたスピーチなどを目にして、ジャスティンは次第に虚しさを覚えてゆく。“バカなマネはしないように”とクレアから釘を刺されたものの、会場を離れて情緒不安定な行動を繰り返した後、霧が立ち込める早朝の道を愛馬で駆ける。橋のたもとで空を見上げたジャスティンは、そこにさそり座の赤い星アンタレスが存在しないことに気付く。
<第2部 クレア>
7週間後。別荘の窓から木々のざわめきを眺めていたクレアは、アンタレスを遮って地球に異常接近する惑星メランコリアが気になっていた。ジョンは、“惑星は5日後に通過するので、地球に衝突することはない”と妻をなだめる一方で、非常時の用意も整えていた。そんな中、憔悴しきったジャスティンがやって来る。支えられなければ歩くこともできないジャスティンだったが、夜には外出し、小川の辺で月よりも大きくなった惑星にうっとりと微笑みかける。後を追い、その姿を目撃するクレア。惑星の接近を心待ちにする息子レオ(キャメロン・シュプール)とは反対に、ネットで地球と惑星の軌道が交わる画像を発見してぼう然とするクレア。“地球は邪悪よ。消えても嘆く必要はないわ”とクレアに淡々と語るジャスティンは、惑星の接近につれて心が軽くなってゆく。いよいよ惑星が通過する夜、ジャスティン、クレア、ジョン、レオの4人はその瞬間をテラスで待ち構える……。
現代社会の象徴として描かれる常識人、姉のクレアと、鬱病で世界から取り残されている妹ジャスティンを前半、後半で象徴的に描いてる。最初は僕も姉の視点でドラマを追いかけていく。妹の奇行にまゆをひそめたりしているんだが、後半徐々に、恒常的な世界のほころびが見え始めてくると、視点は一転してしまう。破滅を静かに待ちわびるジャスティンの目のまっすぐさに強く惹かれて、気持ちはジャスティンの視線になり、そのまま終焉のその時を迎える。エンドロールのあの漆黒の時間は、恐ろしくも甘美なきもちでいっぱいになった。破滅してるのに、すごく優しく、慰められている感覚。
映画は突然始まる冒頭の8分間イメージに、すべてが詰まっている。ある意味ジャスティンの見ている風景そのものなのかもしれない。それがまた美しいんだ…美しいのに、どこか閉塞的で息が詰まりそうで、むかーし社会人なりたての頃に、一瞬だけ軽い欝状態になったときの、あの世の中を厚いガラス瓶の中から見てるような、どうにもならない疎外感を思い出した。
またこの作品を、今のこの日本で観れるタイミングも、偶然だろうけどすごいことだ。それまでごく当たり前に過ごしてきた日常が、どんどんほころんで不安定になっている。僕自身、なんとか平穏に明るくふるまっているけど、その薄っぺらい楽観視にしがみついている感じは、作中の姉クレアの旦那とどこか被ってしまい、恥ずかしくも思った。
誰にでも両手放しで「おもしろいよ!」と勧められない作品だけど、ぜひチャレンジして観てもらいたい作品です。東京でももう上映してる映画館が減ってきてるようで、新宿の武蔵野館は3/23まで。
美しい音楽と、たゆたう甘美の8分間。あるはずのない19番ホール。
Lars Von Trier´s Melancholia – Opening Sequence HD 1080p
これみて「はっ!」と思ったら今すぐ新宿武蔵野館にダッシュしましょう。
ラストシーンは、大音量で感じてほしい…
最後に、トリアー監督の指が素敵なことに(・Д・;)
特に美しかったシーン。
月=クレア、メランコリア=ジャスティン、その間に不安定に立つ半月=息子
3つの光が、木々に3本の影を落とす。これぞこの映画の醍醐味。